◆ “池上秀畝” 時空を超えて故郷を想像した画家

“高遠ぶらり” trivia 002: “池上秀畝” 時空を超えて故郷を想像した画家

「高遠ぶらり」第一弾、2011年4月リリースのデジタル古地図ver.1が池上秀畝・画の「旧高遠城之眞景」。
幕末の高遠城の様子を、空を舞う鳥の目で俯瞰した鳥瞰図。明治27年(1894)、秀畝が二十歳の時に描いた作品です。


「これに現在地表示したらオモシロイ!」と着手したものの、3Dあらゆる方向にゆがんだ古地図にGPS表示をマッチングさせるのはタイヘン。今もバージョンアップのたびに微調整が続いています。

ところで、秀畝は実際には高遠のお城を見たことがありません。
高遠城は、秀畝が生まれる2年前、明治5年(1872)の廃城により建物や塀などのほとんどが撤去され、民間に払い下げられてしまったからです。
絵図の城門や建物は、父で同じく画家の池上秀花(華)の描いた高遠城絵図や話をもとにして描いたといわれます。 デジタル絵図の一番右端、秀畝の落款の上にあるランドマークピンをタップすれば、説明ボックスに秀花の高遠城絵図を見ることができます。

15歳で画学のために高遠を離れた秀畝ですが、幼少期から日々写生に励んでいたというだけあって、「旧高遠城之眞景」に描かれた山や崖などの自然のありさまは写実的。
たとえば、城下への高砂橋脇にある藤沢川の淵は今訪れても絵のままの姿。また、三峰川沿の崖に、水路用の3つの隧道(トンネル)が掘られている様子などからは、池上少年が写生しながら川や野山に遊んだ様子が目に浮かびます。

秀畝は軸や屏風絵として同じ図案の高遠城絵図を何枚も残しています。その中には、対になって城下町が描かれたものもあります。 それらの絵の制作を秀畝に依頼した高遠の人々の郷土への思いを感じます。

地図や鳥瞰図は、郷土の全体像を理解しつつ、同時にディテールを細かく観察するのに最適なメディア。「地域に学ぶ」にはピッタリの表現方法です。

秀畝の目になって、鳥の目になって高遠をお楽しみください。

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